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新企画にむけて

 25, 2014 14:31


昔はあったけど今はないもの…

そう、保護者会

どの園でもあるんだろうけど自園にはない
昔はあったみたいだけど、、、、。

201404251446236b7.jpg

なくなった理由は定かではないがいろいろとあったのだろうと推測する

なくてもいいだろうけど、保護者会でなくてもいい。

もっと違うものでも。

保育園には職種様々な方がいる。公務員や研究者、専門職
社長や店長など。

こんな人たちとたくさん話ができると面白いよね。
でも保護者だから、一定の距離も保たないとね、、、。

守りに入ってしまうと、距離が広がってしまう。

でも何かしたいよね!ということで、今年は

「お父さんと富士登山」を計画しました。
静岡といえば世界遺産 富士山ですね。

最近の長泉町は他府県からの方が増えているので富士山はきっと憧れと
勝手に思っています。

登りたいなと思っている人も多いんですね。きっかけがないと行けない
と思います。

この計画が実現できるように、これから作戦を練らなければいけませんが
練るほどネタはないので、まずは交流会と題して集まろうかなと考えてます。

たくさんのお父さんが参加してくれることを期待しています。

先のことは富士登山が終わってから考えよう。




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楽しみながら

 25, 2014 12:43


いつもと同じように新年度が始まった。

何事もはじめは、「こうしたい!、こんな風になって欲しい!」と目標を
掲げ取り組む姿勢が見られる。

大人の姿勢と子どもの姿勢が一致する感覚を探って行くのも大切な事。

大人が子どもに何か話をする時によくあるやりとりがある。

例えば、保育行事の花まつり(幼児クラスでの様子)

保育士「花まつりってどんなことをするか知っている?」

子ども 「ぞうさんのアメをもらえる!」、「お花を買ってもらえる」

保育士 「お釈迦様の誕生日をお祝いするんだよ〜」

子ども 「甘茶をかけるんだよ〜!」

こんな会話があったよう。行事にかかわらず日常の中に見えてくる。
発する言葉の方向が見えてくる。

子どもは、「内へ気持ちを出している」自分への欲求、欲望
大人は、「外へ働きかける」本来の目的、子どもに知ってもらいたい事実

きっと子どもの内なる想いを無視したものではないけど、
その声に耳を傾けてあげる気持ちがないと、時間の経過とともに
両者の想いに差が広がる可能性がある。
小さな積み重ねが関係を築いていくが、小さなすれ違いは関係を崩す。

良かれと思う行動が子どもにとっては、楽しくないな〜と感じるかも。

それでも子どもは、大人の想いに付き合ってくれる!
ありがたい、申し訳ない、気付くチャンスを与えてくれる。

気付いた保育士、気付かない保育士の3年後は違う。

「なるほどね!、ニヤッと笑える」人はすごいと思う。
子どもの行動に興味を示し、知ろうと思う好奇心がうまれる。

子どものために一生懸命に、硬い表情でいるとストレスを生み出し、健康状態が
悪化する。自分を守ろうと攻撃的になる。

ひらめきは、ふとした瞬間にうまれる。仕事中ではなくリラックスしている時に。

20140425125409a2b.jpg


飲んでる時?喫茶店でコーヒーを飲みながら行き行く人を見ている時?
景色を見ている時?本を読んでいる時?


思いがけない発想に、自分はこんな事を考える力があったんだ!と
気づくこともある。

気付きは明日への一歩となる

今日と言う日を楽しみながら




チャンスはいつか

 17, 2014 00:11


新年度からもう二週間。桜の花びらが散り始める頃には
もみじやヤマボウシ、イチョウといった木々が威勢良く葉を広げる。

春の少し強い風に乗るように、美しさがましてくる。
この季節が好きだ。自然の営みを目の前で感じることができる。

20140417001450895.jpg

築山の芝も子どもたちに踏まれなかった場所は青々としている。
溶けてしまった芝生は、三輪車の滑走路。
山の頂上から斜面を一気にくだる。途中に小さな山を超えられるかが
うまさのポイントらしい。

なくなった芝生を見た男の子が、

「前はここに芝があったんだよな」

保育士もその声を見逃さず、会話に入り、「そうだよね〜」と一言。
その雰囲気に気付いたクラスの子どもたちが集まり
「芝生があった話がはじまる」

「ここはもう芝生がないから三輪車であそんでもいいけど、
芝生のあるところは三輪車はやめよう!」

そんな声が聞こえる。

子どもたちの自由な遊びの中に生まれる、小さなルールと気付き。

誰かのささやきに、気付かなかった事に出会える。

芝生も生きている。今まで踏んでいた場所にもチューリップの球根が
眠っている。

好き勝手にやりたいことをするのが自由遊びではない。

花や木や草も生きていることに気づけること、自分以外にも
人がいて、同じ場所で同じおもちゃで遊びたいんだ。

相手がいてはじめてけんかが起こる。まだどうやって伝えたらいいか
わからない気持ちを大人が切り返してあげる。

問題が起きた時が育つチャンス。それに気づけるか、踏み込めるかが
大事な気がする。

関係を学ぶことが今後の人生にも大きく影響するだろう。

子どもの気づきに寄り添う瞬間は、些細なこと。

良い目とは、チャンスを逃さないこと。

保育士が小さな言葉に耳を傾けられるか…

このクラスの一年間のテーマが見えてきた気がする。



「子どもに寄り添う」ということ

 04, 2014 01:17
桜前線北上中

あいにくの雨模様だが薄桃色が見慣れた景色を変える
「あ〜」とため息が出るが、心地よいホッとする
芝生に寝転んで流れる雲を見たい まだ遠い空を眺めたい

春は視覚で楽しませてくれる。嗅覚もこの時は活躍するね。

20140404012137674.jpg

風に桜の花びらが舞い、帽子を広げて拾う子どもの姿が風物詩

園庭をかけまわる子ども、三輪車で遊ぶ子ども

それぞれが好きな遊びをする
そこに関係が生まれ人や物の存在を学ぶ

日常によくある、「貸して、貸さない」のやりとり
貸してよ!て言えば貸してもらえると思う子どもと、終わったら貸してと思う子ども。
これが原因で泣いて怒ってしまうことがよくある。

その子にとって、「貸してと言えば貸してもらえる」=主張
貸しくれないと、「いじわる」と感じる。

そこに相手が存在しない。なぜなのか?
大人は言えない子に、「貸してと言うんだよ!」と言う。
その子は「貸して」と勇気を振り絞る。

しかし、その先がわからない。言えば貸してくれると思う。
「貸して」=「借りれる」ではないことを知ることは大事なのか。

言葉を発する先には人なり物がある。一方通行ではない。

相手がいることで成り立つ関係を、
私たち大人は「寄り添う」ととらえるのか。

貸して、貸さないの関係を伝えることが大事ではなく、
相手がいて、相手にも思いがあることを伝える、すなわち「こころ」の部分を
大切にしなければいけない。

トラブルを起こす子どもは、表面のやりとりだけを学び、相手の存在がない。
それを知らない子どもは、怒り、泣き、叩き、周りを困らせる。

それは子どもから発信する、「どうしたらいいんだ!!」という訴えである。
相手という、こころがないからわからない。

子どもに寄り添うとは、こころを伝えることではないか。

大人の固定観念が子どもを混乱させる。

やり取りには相手がいる、相手の気持ちを意識できることが大事。

それを学ばない限り、同じことを繰り返す。

自由に遊ぶことは我慢が必要なこと。我慢をすることは相手を知ること。

その関係に大人が、丁寧に関わることを、「子どもに寄り添う」と言う。



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